歴史




 
東山温泉の歴史

会津の奥座敷・東山温泉は今から約千三百年前、名僧・行基によって発見されたと言われ、奥羽三楽郷に数えられる歴史ある温泉郷です。
江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、新撰組副長・土方歳三をはじめ多くの歴史に名を残す人物がこの湯の街を訪れていたと言われています。また、会津民謡「会津磐梯山」に登場する「小原庄助」ゆかりの温泉ともいわれています。
会津若松市の中心地から車でわずか10分程度の便利な場所にこれだけの規模と歴史、豊かな美しい自然を誇る温泉地は他に類を見ません。


新撰組「土方歳三」療養の地

 

幕末の京都、京都守護職であった松平容保公より京都の警護を任せられた会津藩と新選組。
新撰組副長「土方歳三」は、幕末の新政府軍との戦いながら、北上。宇都宮の戦いで足に深い傷を負った土方歳三は、傷に良く効くとされる東山温泉で療養したと言われています。
その土方が浸かったといわれているのが「猿の湯」という源泉。壁面に土方の顔が描かれており、そのそばに源泉が湧き出ています。
 

●猿の湯

約1300年前に発見された当時、東山温泉には猿が群れて入浴していたといわれる事から「猿湯」と呼ばれるようになったと言われています。
湯治場として会津藩士に親しまれ、療養に訪れた土方歳三が浸かったとされています。
 

●きつね湯

多くの会津藩士の傷を癒したきつね湯。
会津藩指定保養所時代、向瀧はきつね湯と呼ばれていました。自然湧出の自家源泉から、動力を一切使わないで、溜めたお風呂がきつね湯です。自然そのままの状態です。
 

●足湯処
東山温泉の中心部に湯川の川面を見ながら楽しめる、横幅約4mの足湯があります。
足湯に浸かりながら川面に目を移すと、壁面に描かれた土方歳三を望むことができます。

※冬期間休業(11月中旬~4月中旬)