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家並マップ

吉美屋

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若松屋

若松屋

分家扇屋

分家扇屋

扇屋分家

扇屋分家

糸屋

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そば処こめや

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四季の風景&イベント

 
「イベント・行事一覧」
 
1月 ・正月飾り
・団子さし
・年の神の催し
 
2月 ・雪まつり
(第2土日開催)
 
3月 ・残雪の大内宿
   
4月 ・春の花溢れる大内宿
5月 ・宿内こいのぼり飾り
・観音様祭り
 
6月 ・お茶会
・菖蒲彩る大内宿
 
7月 ・半夏祭り
・弁天様祭り
   
8月 ・三仏堂祭り
・眠った流し
・盆踊り
・風除け祈願
・二百十日祭
9月 ・一斉放水の大内宿 
防災訓練9月1日
 
11月 ・雪囲いの大内宿
・朝霜煙る大内宿
 
12月 ・正月準備の大内宿
 
 
3月
4月
まだ雪が残る3月。
お越しの際はお気をつけてお越しください。
4月後半から5月にかけて咲き始める桜。
春の花溢れる大内宿へぜひお越しください。
   
   
5月
 


大内宿の見晴台のところにある子安観音。
子安観音は、女性や子供の守り神で、
子宝や安産、子供たちの健やかな成長を祈ります。
年に1度だけ子安観音が御開帳される祭礼が行われ、
お神酒やお赤飯がふるまわれます。
 
こいのぼりが飾られ新緑の大内宿を
さらに鮮やかに彩ります。
 
   
   
 
6月
大内宿茶会
大内宿町並み展示館にて茶会を行います。
遠い昔の旅人に思いを馳せながら
至福の一服を楽しんでみませんか。
   
7月
 
毎年7月2日の半夏(はんげ)の日に、
古式ゆかしい伝統行事・
大内宿半夏祭り」が行われます。
後白河天皇の第2皇子・高倉以仁王(もちひとおう)の霊を祀った「高倉神社」の祭礼です。
神社で神事を行った後、白装束に黒烏帽子(えぼし)姿の村の男衆らが、神輿を中心に粛々と行列をつくり、家内安全、五穀豊穣を祈願し歩きます。

前日の夜には、祭りの責任者らが「高倉神社」に集まり、提灯や行灯(あんどん)、ろうそくの明かりの中、神主さまの采配のもと、翌日の祭礼の分担や決め事を確認します。これを「宵宮祭」といいます。
一同、お神酒で乾杯をした後は、「おこもり」が開始され、深夜までお囃子(はやし)や太鼓の音が、集落に鳴り響きます。
  
 
8月
 
夜には蛍が飛び交う大内宿。
暑さ対策をしてお越し下さい。
・三仏堂祭り
・眠った流し
・盆踊り
・風除け祈願
・二百十日祭
   
   
 
9月
 
大内宿では9月1日の防災の日、防災訓練の一環とし放水銃の一斉放水を行います。

時間は10時からの約3分間ですが、その光景はとても迫力があり、カメラマンの方々にもとても人気のある訓練です。

皆様も是非お越しください。
   
10月
11月
山が色づいてくる季節です。
美しい季節の風景をお楽しみください。
紅葉シーズンには大変混み合いますので、時間にゆとりをもって安全運転でお越し下さい。
・雪囲いの大内宿
・朝霜煙る大内宿
   
   
 
12月
1月
雪が積もり始めます。
お越しの際は、暖かい服装でお越し下さい。
冬期間は、休業中のお店もありますので、
お目当てのお店があるならばお店に直接
お問い合わせすると良いかもしれません。
雪景色の大内宿となります。
冬期間は、凍結があるかと思いますのでお越しの際は、十分お気をつけ下さい。
 
   
2月
 
大内宿雪まつり
2日間にわたって開催されます。
日本一の団子さし、そば食い競争、時代風俗仮装大会や、馬場ゆかりさんによる歌謡ショーなど楽しいイベントが盛りだくさんです。
男衆による御神火載火、冬の澄みきった空に打ちあがる大迫力の花火などもお見逃しなく。
   
   
 

 

▷▷▷歴史◁◁◁
◇由来
大内宿は、会津城下と下野の国(しもつけのくに)(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区間)の中で会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。

会津西街道は関東側からの呼称で、会津側からは下野街道(しもつけかいどう)あるいは南山通り(みなみやまどおり)とも称されていた。、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
   
また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。
   
更に遡って山本村から大内と改められた経緯は、後白河天皇の第三皇子だが、
『平家物語』では兄の守覚法親王が仏門に入ったため第二皇子とされている。
高倉以仁王(たかくら もちひとおう)は、平家物語では1180年源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼って逃亡した。
その途中、当時の山本村(現在の大内宿)に逗留され「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」と詠い、この里が宮中の大内(だいり)によく似ているため大内と改めたといわれる。
   
王子を高倉大明神として観請し明治3年5月18日高倉神社と改めて今もなお、村の鎮守として祭られています。
以前は、高倉以仁王(たかくら もちひとおう)を敬い5月に祭礼を行っていたが、田植えに時期と重なり大変忙しいため、一年の半分である半夏に祭りが移されて現在の「半夏祭り」となりました。
この辺りでは、雪が多いため田植えの時期が遅く、「半夏祭り」までは田植えを済ませる様にとなりました。